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著 者: keimaこと今林
「就職」と言う言葉は「職に就く」である。
「給与」は与え給されるもの。賞与も然り。

給料というのは単なる「労働への対価」だ。

即ち、とある人がビジネスで稼ぎたいと考えたとする。
そこで会社を興す。

「会社」というものも、大抵の人は根本的に考え違いをしている。
「会社」そのものはただの概念だ。
実態としてのオフィスや工場は、概念の中の具現化された一部にしか過ぎない。

早い話、「会社」を興しておけば、「毎年必ず税金を払う」代わりに控除が利く。

会社というのは、自分の資産を守るための一つの方法だ。
個人で儲けると税金の額が大きいため、会社を興しておくと税制上有利になる。
「会社法」で、起業のための個人資産額1000万円が撤廃されたことの意味は限りなく大きい。

そして、その「会社」を運営しているのが経営陣であり、取締役。
会社は経営者が稼ぐために設立した税制対策上の手段の一つなのだ。

はっきり言ってしまえば、事実上ビジネスを行っているのは経営陣である。
労働者は、経営者のビジネスを成功させるための「労働力」を供給している。

職業とは、労働形態の種類を示しており、それはビジネスとイコールではない。

例えば、職業と聞かれて「会社員」や「サラリーマン」と答える。

そう、会社「員」だ。職に「就」き、「給与」を貰っている。

職業というのは、どこまで行っても経営者に「使われる側」だ。

経営者がビジネスを実現するために、必要な「労働力」を金で買い取る。
「就職」とは、即ちそういうことだ。

結局、賃金の高低は「経営者のビジネス規模」と「労働力としての価値」で決まる。

「賞与」は、ビジネスが成功し、大きく稼げた時の追加配分。
まさに、「ボーナス」だ。ビジネスが失敗すれば、まずは賞与がカットされて当然。

早い話、自称ビジネスマンはその大半がビジネスなどやっていない。
事実上、ビジネスを展開しているのはあくまでも経営者だからだ。

労働者は、ビジネスを展開するための実働部隊。
あくまでも労働であり、仕事(事に仕える)である。
ビジネスとは言わない。

給与体系は決められている。
与えられた仕事をこなせば、決められた給与は得られる。
が、これは即ち仕えているだけだ。決してそこから抜け出すことはない。

最近酒の席で愚痴を聞くが、大抵誰もが「給与体系への不満」を口にする。
確かに深刻ではあるが、たまに笑いたくなるのを我慢することがある。

給与が低いのは当たり前だ。

労働力をなるべく安く買いたたいて、巧く稼ぐことを考えるのは当然至極。
誰だって、家計をやりくりするのにコストを考えるだろう。

経営者にとって、給与もまた投資の一つだ。
給与以上に稼ぎをもたらす社員を上部に抜擢していく。

だが、自らの労働に対し、相応の給与は絶対に得られない。

抜け出すには、あまりに不公平であることを上層部に分かるように示すことだ。

「もっと投資しよう」と、上に思わせられるか、だ。

つまり、給与以上の働きをしない限り、
絶対に給与体制から抜け出すことはできない。

経営陣を利用するぐらいの勢いで仕事をしないと、抜け出す事は出来ない。
一生籠の鳥だ。

結局、「もし自分が経営者なら」と考えながら的確な仕事をこなせれば「ビジネスライク」

素晴らしい技術や手法を以て業績を上げているのは「プロフェッショナル」であって、
「ビジネス」とは言わない。「プロフェッショナル」は職業の上位であるにすぎない。

プロになることは悪いことではない。むしろ大切なことだ。
ただ、それは職業を究めることにはなるが、ビジネスを行うことにはならない。
下手をすれば、一生飼殺しとなる危険を孕んでいる、とだけ言っておこう。

核心を述べる。
如何に高額な給与を得ていようと、それは自ら稼いだ金では無い。
労働の対価として、決められた額を支給されただけだ。
それを稼ぎと勘違いしてはならない。

同じ給与体制の中にあれば、必要最低限の仕事さえこなせば、同じ給与を得られる。
そして誰もが酒の席で同じように愚痴る。
「どうせ同じなら、やることだけやってりゃいい」と。
「自分は相応の給料をもらっていない」と。

これが経営陣にとって非常に美味しい状態である事に気づかねばならない。

何度でも言うが、労働は契約だ。給与はあらかじめ決められている。
その中に埋没するなら、一生労働者として使われる側でいるだけのこと。

私だって、職に就いている。給与を頂いている。
ただ私にとっての給与とは、次に自分で稼ぐための調達資金である。

どこに投資するか。それが考えるべきことなのだ。
それを確固たるものとし、ビジョンを描くのに必要なのがマインド。
必要なのは、如何に運用し、どのように新たな資産を生むか、ということ。

これが、ビジネス・マインドだ。

正直、ほんの半年前まで考えもしなかったが。
私も同じく、給与をあてにして生活していた。
だが、パーキンソン病という不治の病に侵され、将来への拭えぬ絶望を刻みこまれた時、このままではやっていけないと、確信したのだ(というか、死ぬ)。

副業を禁止している会社は多いが、これは別の「職業」に就くことを禁じている、と解釈している。

早い話、
貰った給与を何に使おうが、それは個人の自由であって、
会社の立ち入る範囲ではない。
それを資金とし、如何に資産を増やすかと言う部分は、ビジネス思考だろう。
即ち、個人的「経営」思考だ。

ここで何を行うかという部分で、一つは情報ビジネスに目をつけた。

これは、誰かに雇われているわけでもなければ、
誰かから給与をもらうわけでもない。
自ら考え、自ら稼ぐための術を模索しているのだ。

資産運用の一形態である。株や、証券取引と何も変わらない。
日常業務に支障をきたさない限りにおいて、
会社から文句を言われる筋合いはないのだ。

ではなぜ、誰もが「給与をあてにして暮らす」事を選択するのか?

長くなったので、これは次稿に譲ろう。

http://blog.keima-infobiz.com/archives/8

 

アーティクルリソース:http://articlejapan.com/

 

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